緑神会の祖【林 緑神先生の足跡】1922年 大正11年 大正11年 川崎大師村に、林家の四人兄弟の三男として生まれる。 1935年 昭和10年 中学2年放課後、担任教諭石田先生(国学院大学)に 詩吟の洗礼を受ける。 1937年 昭和12年 東京計器製作所で渡辺緑村先生に詩吟の師事を仰ぐ。 1943年 昭和18年 海軍現役兵として入隊。航空整備兵として香取海軍航空 隊助教(二等下士官)。 1945年 昭和20年 復員。羅災のため、川崎大師の川中島から町田市に転居。 1947年 昭和22年 三菱造船所に入社。 1955年 昭和30年 三菱造船所詩吟部創設。自ら指導に当たる。鈴木岳楠先生をこう講師迎える。 1956年 昭和31年 第1回審査会が保養荘(鎌倉材木座)実施され、奥伝を受証し号を緑風。この時、渡邉龍神先生が審査で出席された。 1958年 昭和33年 神奈川県詩吟連盟主催の独吟コンクールで優勝し、県知事賞を受賞。吟題「凱旋」。審査員は横山岳精先生。 1961年 昭和36年 皆伝修得。号は緑岳。横浜税関詩吟部嘱託師範となる。 1965年 昭和40年 横浜旭吟詠部発足、同会師範となる。 1966年 昭和41年 大和吟好会発足、同会師範となる。 1968年 昭和43年 町田吟詠会発足、同会師範となる。 日本詩吟学院本部理事となる。 1970年 昭和45年 テイチク吟詠専属となる。『異国の丘』『九月十三夜陣中の作』『蒙古来』をLPレコードで出す。 1971年 昭和46年 TV12チャンネルで『曽我兄弟』を吟じ、剣舞の神道流並木剣世と共演。渡邉吟神先生の『同期の桜』『王将』をレコード・カセットテープに吹込む 1972年 昭和47年 神奈川県警察学校詩吟部講師となる。
岳風会県本部副部長となる。
渡邉龍神先生を団長として、沖縄吟剣詩舞使節団を結成、百数十名で沖縄訪問する。1976年 昭和51年 東京・神奈川の各傘下団体を結成して岳菱会を創設。会員千名達成。会詩(福島正義先生)成る。 1979年 昭和54年 三菱造船所を定年退職。 1980年 昭和55年 日本詩吟学院から分かれ、日本吟道学院発足、移籍。龍菱会と会名を変更本部常任理事に任命される。 1983年 昭和58年 伊勢神宮奉仕団参加。中国旅行で各地を歴訪、成都で杜甫草堂を見学『武候祠に詣ず』の漢詩を作る。 1989年 昭和61年 第二次沖縄慰霊祭吟行団結成、同志百名で参加、ひめゆり記念館落成に合わせて文化交流した。団長渡辺吟神先生。 1991年 平成3年 神号授与され、龍菱会から緑神会へと改称する 1993年 平成5年 副総裁を拝命する。 2002年 平成14年 副総裁を辞任し、最高顧問を拝受。 2005年 平成17年 12月病で倒れる。 2008年 平成20年 4月4日逝去される。
緑神会の祖【林 緑神先生】

林緑神先生は、大正11年に林家の三男として川崎市大師村川中島で生を享ける。
中学2年時、放課後担任教諭石田先生(国学院大卒)に声が大きいから詩吟を進められそれがきっかけで詩吟の洗礼を受ける。
昭和12年緑村流渡辺緑村先生に師事し、昭和30年三菱造船所から指導者の道を歩み、横浜旭吟詠会、大和吟好会、町田吟詠会と次々と会を発足され今日では9会と発展した。
その吟声は雷のごとく、また山水が清らかに流れるがごとくと多くの方々に親しまれた。
昭和43年日本詩吟学院本部理事、昭和51年岳風会県本部副部長と歴任し、昭和55年科学的吟詠を目指した渡辺龍神先生と日本吟道学院の創立に参加する。
日本吟道学院副総裁まで拝命した緑神先生は、平成二十年四月四日八十五歳を以って昇天しました。
詩吟をこよなく愛し、多くの人に詩を吟じていただきたいと吟道の普及に対する情熱は、永久に私たちの心に刻まれ、緑神会の歴史と今後の発展の礎でもある。